【小説】桜(はな)に珈琲を

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その人は、明治七年生まれだった。
平成も終わろうというこの時代に、まだその人は存在していた。

桜井利助。

貴子は何度もその名前を見つめる。どこもかしこも新年度の始まりで慌ただしい季節に、貴子は市役所のロビーにいた。多くの人が座り、ごったがえするソファの片隅で、名寄帳の写しを膝に広げる。数筆の土地が並ぶ課税明細の名義人の欄に、桜井利助の名前はあった。

「わたしの曾お爺さん、か」

もちろん会ったことなどない。戸籍上では既に鬼籍に入っているのだ。だが貴子はこの人とこれから付き合わねばならない。

「お待たせ。書類、取れた?」

左脇に人影が立った。貴子の伴侶だ。

「うん。そっちはうまくいったの?」

「とりあえず用紙だけもらってきた。こんな年度の変わり目でなければ、もう少し窓口も空いてるんだろうけどねえ」

マドカはそう言うと、手に持った大きめの封筒を見つめた。二人の女性の外見は正反対だった。貴子は大柄で肉付きが良く、髪は短めだが女性的な顔立ちをしている。マドカは貴子よりは背が低かったがすらりとした痩身で、くっきりした目鼻立ちは美女の域だがどちらかといえば『ハンサム』であった。

ハンサムレディのマドカが言う。

「買い物して帰ろう」

「どこかで食べていかない?」

「駄目。昨夜も外食だったじゃない。勿体無いし体に悪い」

貴子の誘いをマドカは無碍に断った。

貴子は基本的に面倒くさがり屋だ。家事は苦手、炊事も苦手、一日寝ていられるならそれが幸せ。一方のマドカは料理上手で掃除の鬼、晴れていれば布団を干したがる活動家だった。この二人が意気投合して同居に至ったのは、お互いに理解不能だったが、一方では磁石の作用が最大限に働いたともいえる。

帰宅するや否やマドカはあっという間に食材を切り刻み、昼食を作り上げた。

「貴ちゃん、お皿出して」

はいはいと貴子はテーブルに二人分の食器を並べる。

「あ、仏さんのお茶」

マドカの指摘に、そうだった、と貴子が器を手に取った。いつもの湯呑を持ちかけて、ふと手が止まる。

「今日は珈琲にしてみようか」

食器棚にデミタスカップを見つけたのだ。

「いいね。伯母さん好きだったし」

マドカが賛同した。

仏壇横の小さな祭壇には、貴子の伯母の遺影が飾られている。遺影の前には位牌とお骨。ピンクを基調とした生花が花瓶に生けられ、周囲にはバナナだのマドレーヌだのクッキーだのが所狭しと鎮座していた。

二人は毎日、供えてあるお茶を取り替えていた。専ら気が付くのは血縁のないマドカの方で、貴子はその度いつも有難いやら申し訳ないやらの気持ちになるのだった。

今日は、貴子が珈琲を淹れてお供えした。

面倒くさがり屋の貴子だが、珈琲はいつもドリップで淹れることにしている。好きなことには労力は惜しまない。白い湯気と香ばしい匂いが立ち上がる。

二人並んで仏前に手を合わせた。

「珈琲って言うと、伯母さんと喫茶店行った時のこと思い出すね」

マドカが言った。

「あの時は吃驚した」と貴子も肯く。

貴子とマドカは、「交際している」ということを周囲には告げていない。仲の良い友人同士のルームシェア。職場でもその調子で通している。マドカだけは親に知らせて了解されていたが、貴子に至っては悩んでいる間に親が死んでしまった。でかい持ち家に一人きりになった貴子の下へ、マドカが引っ越して来たのである。

親より長生きした伯母は、同じ市内に住んでいた。貴子の家からは、車で三十分も走れば着ける距離だ。貴子の母親の長姉にあたるこの伯母は、夫も子も早くに亡くし、一人で実母の面倒を見て来た。貴子の祖母だ。その祖母も二十年前に死んでからは、文字通り一人だった。

若い頃はしっかりしていた伯母だったが、寄る年波には勝てない。膝を悪くし、腰を痛めてからは、買い物もままならなくなった。やがて一人には大きすぎる家を出て、晩年施設に入った伯母の下へ、貴子は足繁く通った。断れない性格の貴子は、言われるままに買い物なども引き受け、銀行や病院の送迎などもした。

「面倒だな」と思ったことは何度もある。

だが、断るのも面倒だった。

もちろん多少の義侠心も持ち合わせていたので、貴子はなんだかんだとそれなりに動いた。両親が既にいない貴子にとって、身内は大事にしておきたいという気持ちが働いたのは確かだ。

伯母さんが生きている間は。

そんな風に思っていた。
膝や腰は弱っていたが、認知症になることもなく、お洒落で気さくだった伯母を連れて、貴子とマドカは喫茶店に行ったことがある。

ラミネートされたメニューを見ながら、伯母は一言、

「エスプレッソ」

と言った。

貴子が「え」と驚いて、伯母さんそれすごく濃いよ大丈夫、と問うたが、伯母は「わたし珈琲は好きだから大丈夫」と笑った。

「カッコよかったよねえ」

マドカが遺影を見つめて、ほう、と息を吐いた。

「貴ちゃんの珈琲好きは、伯母さん譲りかもね」

「さあ、どうかな」

貴子はほわほわと上がる珈琲の湯気を見つめた。

伯母が死んだのは、二月の末だ。

霙交じりの風が吹きすさぶ夜、入院先から電話を受けて駆け付けたときには、既に死亡宣告待ちの状態だった。貴子以外に来ている者はまだおらず、貴子はベッド脇で待った。  

病院から電話を受けてすぐに、もう一人の伯母―ベッドの伯母の妹であり、貴子の母の姉だ―にも連絡をしたが、到着が遅れている。遠距離というわけでもない。それどころか、二人の伯母は目と鼻の先に住んでいるのだ。それでもこの伯母が入院してから、もう一人の伯母が見舞いに来たことはただの一度もなかった。

医者が「もうよろしいですか」と言うところを待ってもらったのは、貴子があくまで『姪』だからである。『実妹』が居る以上、それを差し置いて死亡宣告を受けるのは僭越であると思えた。車ならば五分の距離を、一時間半ほども待つと、もう一人の伯母は現れた。

そのときから、貴子の『やるせなさ』は始まった。

もう一人の伯母は、豪く丁寧に医者に挨拶をし、ベッドの上に向かって「よう頑張ったねえ」と話しかけた。もちろん返事はない。

死亡診断書を握り締め、貴子ともう一人の伯母、そしてその夫の三人は葬儀会館の一室に移動した。

実妹である伯母が喪主となる契約書に署名し、一通り葬儀の段取りを終えて帰路に着いた時には、日付が変わっていた。

帰る家があるのなら、遺体はそこへ移しただろう。だが、施設に引っ越してからは死んだ伯母の実家は空き家状態である。もしかしたら江戸時代から建っているんじゃないかと思える古い家は、十年近く閉め切っているために最早使えたものではなかった。

伯母は、生まれ育った家に帰ることもなく、病院から葬儀場へ移動し、そして荼毘に付される。

結婚して婿養子を取り、子供も産んだが、全てに先立たれたため見送る親族は多くない。自身は結婚もしていない貴子は「空しいものだな」と思った。自分の時はどうなるのだろう。マドカは自分よりも年下だが、人生の順番など誰にも解らない。

帰宅した貴子を、マドカが「お疲れさま」と出迎えてくれた。待っていてくれたのだ。感謝してお茶を一杯だけ飲み、その日は風呂にも入らずに布団に潜った。

うとうとし始めた深夜一時半過ぎ。

けたたましく電話のベルが鳴った。

何事か、とマドカが枕辺の時計を見る。促されてようやく貴子も目を開けた。夜中の電話など碌なものではない。人は既に一人死んだけどな、と思いながら貴子が電話に出た。

電話の相手は、もう一人の伯母だった。

「わたし喪主なんてやらないから。無理だから。それじゃあ」

それだけ言って、電話は切れた。

頭が寝ぼけて、何を返せばいいのか判断できなかった。

貴子は追いつめられると図太くなる神経を持っている。その夜は容赦なく寝た。

翌日、貴子は死亡診断書を持って市役所へ行った。実働部隊として動く分には不満はなかったので、死亡届を提出しに行ったのだった。

枕経の後に、葬儀会社と本格的な詰めをした。

伯母はその時にも「喪主はしたくない」と言い張った。葬儀会社の人間も困っていたが、貴子は押し通した。思えばこの時、もう貴子が全てを引き受けてしまえば良かったのかも知れない。それでも『姪』と『実の妹』を比べれば、やはり妹が喪主をするのが真っ当な社会通念だと思えたのだ。生きている間はそれなりの面倒を見たが、葬式の場ともなれば『順番』というものがあるだろう。

伯母は更に不思議な行動をとった。通夜の前に法務局へ行き、相続人の確認をしてきたというのだ。その結果「わたしじゃなくても貴ちゃんでも喪主はできる」と言った。貴子が死亡届を出しに行っている間、伯母とその夫は法務局へ行って財産を調べたらしい。そして大したものもないと解った後、余計に喪主の座から逃げたがった。

貴子は、僧侶への礼を包むなど様々な雑事をこなしながら、「勘弁してよ」と思った。

とどめは、火葬場だった。

少ない親族らが待合室に集まり、火葬を待っている間。

伯母の息子、つまり貴子にとっては従兄にあたる男が、手先だけで貴子を招いた。「ちょっとちょっと」という風情である。

「なに?」

マドカの横に座っていた貴子が、移動する。なんだかんだでマドカも通夜からこちら、ずっと付き合ってくれていた。

「どうするよ、この後」

五十の年は超えただろう従兄が、酷く親父臭い言い方で貴子に言った。

「どうするって何が」

「いや、お骨さ」

貴子の肚の中に、夕立の前の黒雲のような薄気味悪さが持ち上がった。

「うち、持って帰らないよ」

従兄は軽く吐き捨てた。

「え?喪主をしたのにお骨を持って帰らないの?」

貴子の声は我知らず大きくなった。

「いや、喪主は仕方がないからしたけどさ。後は関係ないし」

対する従兄は背中を丸め、口先だけでぼそぼそと呟く。

「関係ない?姉妹でしょ。他にもう誰も居ないたった二人の姉妹でしょ」

「いや、相続関係から言えばさ、同じなんだよ。貴ちゃんとうちは。貴ちゃんはお母さんが亡くなってるんだから、貴ちゃんが相続人になるわけ。うちと半分ずつの権利なの。だから同じなの。権利も立場も義務も同じ」

はあ、と貴子は裏返った声を出した。

心臓が早鐘を打ち、手先が冷たくなる。

この従兄は一体なにを言い出すのか。なにが言いたいのか。

「一緒じゃないでしょう。わたしは姪。伯母さんは妹でしょう」

「いや、同じだよ、同じ同じ」

姪と妹のどこが同じなのだ?

「仮に相続の配分はそうだとしても、社会通念上はどうなの。常識としてそれはどうなの」

「それはそっちの常識ね。貴ちゃんが考えているだけの常識。世間的には同じなんだよ、同じ同じ」

話が通じない。

「こっちはわざわざ喪主を引き受けてやったんだよ。ここであなたの常識を出されても仕方がないでしょ。同じ義務を負ってるんだよ。こっちはちゃんと義務は果たしたんだよ」

従兄の他人行儀な言葉が、貴子を激しく撃った。

義務。

引き受けてやった。

そうなのか。

今、待合室の隅で遺影になって笑っているこの伯母は、残された実妹一家にとっては、そういう立ち位置だったのか。

この従兄には妻も子もあり、妻は今この場に居る。一家中で同じ主張なのか、誰も何も言おうとはしない。もちろん実妹である伯母も、その夫である伯父も黙している。従兄には嫁いだ姉が居り、その夫婦も同じ待合室にいたが、どちらも口は挟まなかった。

それで、いいのか。

貴子は更に抗弁したが、従兄は「話が平行線だね、うちは第三者をたてるから」と言った。

第三者。弁護士に話をしてくれ、と言っている。

お骨を含め、相続などについての話も弁護士としてくれと言う。

貴子は食い下がった。

「弁護士さんをたてるにしても主張があるでしょ。どういう主張で依頼するの。何を考えているの。何をどうしたいの」

「あ、それも弁護士さんを通じて話すから」

埒が明かない。

貴子は正直、相続などには全く興味がない。土地がどれだけあろうが、銀行にいくら残っていようが、それらは全て、残された妹である伯母に受け継がれるものだと思い込んでいた。それゆえ、お骨や仏様のことも引き継がれるものだと考えていたのだ。貴子は自分がいかにおめでたい頭でいたのかを思い知る。

おそらくこの実妹一家は、これから弁護士といろいろと検討するのであろう。だから今ここでは主義主張を述べないのだ。相続するか否かを悩んでいるから何も言わないのだ。けれど頑として「お骨は持って帰りたくない」と言う。貴子は困惑するしかなかった。

「そう。それなら、お骨はわたしがお預かりします。お寺にも相談します」

「あっそう。そうしてくれる」

「これじゃあんまり仏さんが可哀想だ」

静かに震える貴子の背後で、マドカはとっくに怒り心頭していた。

何もかも終えて、式場から戻る際、お骨をしっかりと抱えてくれていたのはマドカだった。貴子は香典返しの算段をする従兄の話に付き合わされ、予定よりも帰宅は遅くなった。

貴子が受け継いだ自宅には古い仏壇があり、両親ともそこに入っていたが、今回の伯母とは檀家寺が違う。文机を広げて間に合わせの仮祭壇を作ったものの、さてどうしようと悩んだ。

悩んでいても仕方がないので、マドカが供えてくれたお茶やお菓子を前に、二人は手を合わせた。

「なんか、こうなるような気がしたんだよね」

マドカがつくづくと言う。

告別式からやがて一か月半。

四十九日が目の前だ。

デミタスカップで伯母の好きだった珈琲を供えた後、二人は遅めの食卓に着く。昼食にしては豪華メニューだった。豆腐とワカメの味噌汁、鮭のムニエル、法蓮草の煮浸し、里芋の煮付け。ご飯のお供の佃煮は欠かさない。

「で、プロに相談するの?」

箸を動かしながらマドカが尋ねた。

「うん。この間、向こうの弁護士と話したけど、その方がいいよね」

「わたしも一緒に聞いてたけど、弁護士ってすごいね。ひとの話を見事に聞かない。自分の言いたいことだけ言う。話を遮らせてくれないんだよね。ああじゃないと勝てないのかな」

「わたしは、他の弁護士さんを知らないから何とも言えないけど、疲れたね」

これ持って、司法書士さんにでも相談しよう。

貴子は、市役所から貰って来た固定資産の明細を眺めた。

結局、もう一人の伯母は、相続放棄をした。

残された土地や銀行預金残高、そういったものから、空き家になっている建物の処理費や今後の法事費用などを差し引くと、利益はないと判断したようだった。

貴子は伯母の檀家寺に相談したところ、喪主と名前が異なっていても構わないので、誰かがお骨やその後の面倒を見てくれるのならそれが一番良い、という返事だった。

固定資産の中には、伯母の祖父の名義のままになっている土地が何筆かあり、それが明治七年生まれの桜井利助だ。貴子も名前くらいは聞いたことがあるが、顔は知らない。相続放棄といっても、放棄するのは伯母の名義のものだけなのだから、結局のところ桜井利助名義の土地を貴子が処分なりなんなりするためには、もう一人の伯母の承認が必要だ。桜井利助とは長い付き合いになるだろう。

ああ、面倒くさい。

貴子は、面倒なことは嫌いなのである。

「四十九日はいつだっけ」

マドカの問いに、貴子が「来週の土曜日ね」と答えた。

伯母の実家は使える状態ではない。かと言って、我が家は檀家ではない。こちらから出向いて行き、お寺で法要をしてもらう他はなかった。

食器を洗いながら、貴子はマドカに語りかける。

「そっちの書類は、最後にマドカのお父さんに送る?」

マドカは「そうだね」と言いながら、テーブルの上でペンを動かしていた。貴子が市役所で課税明細を取得している間に、同じ建物の中でマドカが貰って来たのは、『養子縁組届』だ。

貴子にあれこれ言う人間はもういない。マドカのところは両親の許可を得ている。この市にはパートナーシップ制度はない。そういう状況で貴子とマドカが『家族』になるためには、これしか手段がないのだ。今のままでは二人はただの『同居人』である。片方が病気になったりしても、片方には何の権利もない。手術の同意書も書けないし、保険金の受取人にもなれない。

今回の伯母の一件で、頼る者のない身の辛さを実感した貴子が、ついに重い腰を上げたのだ。

見送って欲しいなどという図々しい気持ちでいるわけではない。せめて生きている間だけでも、本当の家族が欲しい。

あのぞっとするような従兄と血が繋がっているかと思うと、自分の手足を掻き毟りたくなるが、貴子にはマドカがいた。心細い時に支えてくれる誰かがいた。日付が変わっても待っていてくれる相棒がいた。

時間というのは不思議なもので、時に血よりも濃いものを作り出すことがある。

養子縁組届には、成人二名の署名捺印が必要だが、それは共通の友人が引き受けてくれることが確定済みだ。書類が出来てから、最終的にマドカの両親に確認して了承してもらおうか、という流れになるだろう。別段、両親の署名捺印が必要、というわけではなかったが、こういうのもけじめだ。禍根は残したくない。

「わたしのところは書けたよ」

マドカは書類が苦手だが、今回は自分の箇所くらいは書く、と頑張った。

「はい、お疲れ」

貴子が確認し、続きを書いた。

自分たちにも珈琲をいれようか、とマドカは席を立った。

翌週の土曜、貴子とマドカは市内の寺を訪ねた。

位牌と遺影、お骨を持って本堂の階段を上がる。境内には桜の巨木があり、年季の入った木製の階段に白に近い薄桃色の花弁が散っていた。

貴子と年の近い、気さくな住職が、位牌や遺影を祭壇に掲げてくれた。もう一人の伯母は呼んでいない。呼ぶ気にもなれなかった。

読経が始まった。

通夜の前に、貴子が必死になってひっくり返した伯母の荷物の中から見つけた証明写真が、遺影となった。青い背景の中、お洒落だった伯母が精一杯めかし込んで撮影したらしい姿が、薄く笑っている。香の煙が漂い、貴子は少しだけ瞳が滲んだ。

「今後のことは、また、いつでも相談してください」

住職がにこやかに貴子を労った。

「ありがとうございます」

これから初盆に一周忌、永代経、三回忌と法事が目白押しになる。伯母自身が喪主を務めた二十年前の祖母の法事だってやって来る。両親の法事も控えている。数珠を持つ機会は何度も訪れる。

位牌や遺影、お骨を、マドカと手分けして持ちながら、貴子は本堂の扉を開けた。

外へ出ると、一陣の風が吹き抜けた。

ざわざわと枝を鳴らして桜が踊る。

階段の木目に、花弁が何枚も引っ掛かった。貴子とマドカのストッキングにも花が吸い付いた。

「花びらのお土産、持って帰っちゃうね」

マドカがふざけた。

乗って来た車に遺影たちを収めると、マドカは貴子を階段に誘った。

「ちょっとそこで、お花見させてもらおうよ」

「うん。いいね」

貴子は鞄だけを持って、駐車場から本堂階段へ戻った。遅れてマドカがやって来る。

「いいものがあった」

貴子の横に腰を下ろし、マドカが「はい」と何かを手渡してくる。ほんのりと暖かい、缶珈琲だった。

「駐車場の横に自販機があったよ」

「へえ。ありがとう」

春とはいえ、花に嵐の名の通り、今日は風が強い。指先に温もりを届けるスチール缶が嬉しかった。

「これは伯母さんに」と、マドカは三本目を取り出して、二人の間に置いた。

「遺影は車に置いてきちゃったけど、一緒にお花見してもらおう」

三日月のように目を細めて、マドカが笑った。

貴子はもう一度、ありがとう、と言った。

花の季節が過ぎれば、あっという間に初夏が来る。お盆の算段もしなければ。貴子はやっぱり「面倒くさいな」と思った。それでも。

「貴ちゃんは、よくやったよ」

珈琲を飲みながらマドカが言う。

「施設にも通ってさ。いるものがあれば買い物して届けて、介護認定の立ち合いもして、施設の保証人にもなって、入院したときもでしょ。よく面倒みたよ」

「なんにもしてないよ」

そうだ。

結局、大したことは何も出来なかった。

遺言状を作る手助けをしてやったわけでもない。死んだ子供の代わりになってやったわけでもない。ただ自分にそのとき出来るだけのことをしただけだ。

「その出来ることがさ、なかなか出来ない人が多いんだって」

そうだろうか。

奉仕の精神でいたわけでもない。内心は面倒だと思いながらやったことも多いのだ。

「内心なんてどうでもいいの。行動した結果があるだけなんだから。お骨を持って帰って法事をしてるのは貴ちゃんでしょう。もう一人の伯母さんじゃなくて。それが大事なんじゃん」

行動した結果か。

それならば、これから先も「面倒だな」と思っても「何かをしてゆく」「何かを残す」ことは出来るだろうか。少なくとも、養子縁組をすることで、わたしたちの老後は変わって来る筈だ。

花弁が絶後の青空を切り裂いてゆく。

「エスプレッソ」

という伯母の声が聞こえた気がした。

(了)

ご覧いただき、ありがとうございました。この作品は、2019年第27回鈴鹿市文芸賞で奨励賞を受賞したときの作品です。

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