奇跡のみかん鈴生り

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うちの庭の夏みかんです。2019年の春に、亡き伯母の家から移設しました。

明治24年築の家屋解体から

私の母は三姉妹の末っ子でした。本当はもっと兄弟姉妹がいましたが、子供の頃に亡くなってしまい、成人したのは母を含む三姉妹のみ。

末っ子の母が一番先に亡くなり、次女は実家の近所に嫁ぎ、長女は婿を取って家を継ぎました。ただ、婿だった夫を早くに亡くし、娘も幼い頃に亡くなりました。その後、長女は実母と暮らして来ましたが、実母を看取り、長女も2018年に88歳で死去。

この「長女」が私の「伯母」です。

次女は近所で夫と共に元気で、長女の葬儀の喪主も務めましたが、「骨は持って帰りたくない」と述べましたので(次女の息子=私のいとこが、弁護士まで用意しました)、私が後始末を引き受けました。

この辺の詳細はまた、何かの機会に描きたいですが、よく考えたら既に小説にアレンジしていました。そのご紹介は後程。

で、そんなこんなで、伯母の家を私が解体したわけです。

明治24年築。解体したときには建ってから128年が経過していました。

裏庭に、何本か樹木がありました。八朔、金柑、甘夏など。全て思い出深い木だったので、私も心苦しかったのですが、樹木だけ残しておくわけにもいきません。

本当は全て処分するつもりだったのですが、何度か現場の様子を見に行くうちに、どうしても未練が湧きました。そこで一本だけ。甘夏、とお隣さんが言っている木だけ、我が家の庭に移設することにしました。

移設・・・する。

解体屋さんが大変に親切なかたで、当初予定にない作業を私が持ちかけたときも、無償で自分が引き受ける、と言ってくださいました。しかし調べてみるとやはり、樹木の移設というのは素人が手を出せる種類の作業ではない、とのこと。また、伯母の従兄(存命の男性)も「プロに任せた方がいい」と言います。

もともと私も、別料金を支払うつもりだったので、造園業者さんにお願いすることになりました。

ほぼ解体が済んだのは、2019年3月頃。ただ、移設するには時期がよろしくない(まだ寒い)とのことで、もう少し暖かくなるまで、敷地内に樹木のみが一本ある状態で整地などをしていただくことになりました。

この頃から解体屋さんが「みかんちゃん」と呼び始めたのが、大変に可愛らしかったです。

同じ年の4月中旬。概ね整地も済み、甘夏の移設準備も整いました。そして4月下旬に、ついに「みかんちゃん」は我が家の庭にやってきました(この頃には、私も含め家人は「みかんちゃん」の呼び名が定着していました)。

枝や根の部分を大幅にカットされてやってきた樹木は、驚くほど小さいです。春になりそこそこの葉はついていますが、伯母宅の裏庭で見慣れた姿からは一回りも二回りも小さくなった感じ。移設するにはここまで枝葉や根を落とさないとダメなのか、と思いました。確かにこれは素人では無理。

そして業者さんからは、こう言われました。

「5年は実らんと思うよ」

難しいんですね。
植物と我々の生きる速度が違うためなのか、樹木だからなのか、果実種によるものなのか、ちゃんと聞きそびれてしまいましたが、そのときは「うん。ここまで剪定(?)されてたら無理だよな」と素直に感じたものです。

ばっさり落とされた枝の切り口は、保護処置がされていました。
なんとも痛々しいその姿は、私に「とにかく根付いてくれたらそれでいい」と思わせたのです。

なんか青い実がある

ところが、その年の夏。
今夜あたり台風が来そうな夕刻。自宅に帰って来たとき。私の目に庭の木々が映りました。

そこに「ひとつだけ」、周りの枝葉と同じ緑色の丸い果実が。

「青いけど、あれ、みかんじゃね?」

興奮した私は、片端から友人に連絡しました。

移設した造園業者プロから、5年は実をつけないと言われた樹木。
花が咲いていることにも気づかなかった地主(私)。
今夜には台風が最接近。雨風で飛ばされてしまうかもしれない。
何度確認しても一個しかないし。
いや一個でもすごいことだけれど。

友人たちは、私がいとこの雇った弁護士と話し合うときに数々の助言をくれたり、その内の一人は一緒に立ち会ってくれたりした、竹馬の友達です。皆が「すごいすごい」と返事をくれる中、一人の友人が言いました。

「台風が過ぎても枝に残ってたら、奇跡のみかんと呼ぼう!」

いい案です。私は家族や仲良しと喜びを分かち合ったので、もう「嵐の後にみかんがなくてもやむなし」という気持ちになりました。

果たして台風一過。みかんは枝に青々としがみついていました。

「奇跡のみかん」誕生です。

5年目の春です

最初の一個を、無事に熟した後に収穫したときは、「これが最初で最後かもしれない」と思いました。

生き物は、散る前に最後の底力で美しく輝くことがあります。移設されて疲弊したみかんちゃんの、もしかしたら最後のきらめきだったかもしれないではありませんか。伯母が私に見せてくれたラスト花火かもしれないじゃないですか(いや、そのような伏線はないですが)。

そんな気持ちで収穫したので、それはそれは大事に食べましたよ。
皮をむいて、中にいくつ房が入っているかまで数えたりして。
美味しかったです。

で、翌年ですよ。初めて「みかんの花」に気付いたのは。

当然のように口ずさみましたね。「みかんの花」の唄。

あとは、年を重ねるごとに、実の数を増やしていきました。翌々年くらいまでは数えていましたが、昨年あたりから多すぎて数えるのをやめました。

今年はこれまでで一番の豊作です。

近所の農家さんの目にも止まるようになり、「4月くらいまで収穫せずにおくといいよ。水を吸い上げて美味しくなるよ」と言われたので、今年はその言に従いました。本当にその通り、これまでで最も美味しいみかんになりました。

余談ですが、私はずっと「甘夏」だと思っていたのですが、ご近所が軒並み「夏みかん」と言うので、そうなのかもしれません。ぶっちゃけ区別がついてないです。

解体した伯母の家は、かつて私も幼い頃に数年だけ住んだことがあります。
今でも夢の中にその家が出てくることがあります。解体して更地になった場所に立ったとき、流石に何かこみ上げてくるものがありました。

でも、我が家の庭には、みかんがあります。その家をおそらく裏庭からずっと見てきた、一本の樹木があります。

今年は、伯母の七回忌でした。

みかんと一緒に、伯母がうちに引っ越してきたような、そんな気持ちで今は過ごしています。
ありがとう、みかんちゃん。

よければご一緒に

前半部分で漏らした「私小説」が次のページです。いろいろ設定などアレンジしていますので、完全実話ではありませんが、起きたことをまあまあ詰めました。

私自身が同性パートナーと暮らしているので、登場人物も似たような設定です。好みは人それぞれなので、そういった設定がお好みでない方はUターンです。

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