そらの記録

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備忘録として、愛猫の臨終間際の前後、葬儀までの様々な記録や気持ちを記します。

来月の推定誕生日で19歳になる「そら」は、綺麗な猫でした。キジ白。白い脚がなまめかしい。性格は内弁慶の女王様。猫として大変正しい。生後三日の死にかけ状態を拾い、その時に地獄から帰ってきて以来、大病もせず元気に暮らしていました。

その足なあに。

2022年8月15日。左後足を通常より湾曲させながら歩行し始めました。捻挫した人が足を庇いながら歩くようなイメージです。
翌8月16日。かかりつけの動物医院へ連行です。この猫、いつも医院では固まって絶対に動かない。それがわかっていたので、昨日のうちに撮影しておいた足を引きずる様子の動画を医師に見せます。先生曰く「ああ右もおかしいですね」。左坐骨神経の障害とのことで、注射。一週間分の内服薬も処方されました。薬の中身を尋ねると「要するに皇潤です」。猫用の「皇潤」なんてものがあるのかと初めて知りました。この日の体重は3,6キロ。先生からは「また来週みせて」と告げられます。

看病のはじまり

看病、というほどのこともないのです。一日に一回、いただいた薬を飲ませるくらい。あとは好きにさせておく。トイレには間に合わないことが増えてきたので、ペット用シーツをトイレの手前まで長々と敷いておきます。レッドカーペットみたいです。
耳は少し前から遠くなっていたようで、一年くらい前から大声で人を呼ぶようにはなっていました。それが割と早朝だったりして、家人はそれなりに睡眠不足の日が続いていました。「ああ、また鳴いてるわー」てな感じで、様子を見に行ったり呼んでみたり。

薬はものすごく趣味に合わなかったようで、最初の3回は飲ませることができましたが、以後は失敗続きでした。一人が補綴し、一人が薬を口内奥に放り込んで口をぐっと閉じておくと、やがてゴクリと飲むのですが、4回目以降は猫が学習しました。薬を放り込んだ途端に「カッ」と舌を弾ませて空中に放りだします。その様、男子バレーのトス並み。見事なプレイです。その後秒速で口を閉じるので、人の指は牙で割けていきます。人間の指なんか食べても美味しくないだろうよ。なんとか含ませても頑として飲みません。歯の隙間から無駄に薬が溶けて流れてくるばかり。すまぬ。下手な飼い主ですまぬよ。

8月19日あたりからあまり食事をしなくなりました。水は飲みに来るのですが。

8月20日夜、部屋でおとなしく撫でられていましたが「なんだかいつもよりおとなしいなあ」と感じました。本当にただ横たわって撫でられている。

8月21日夜、廊下で失禁し、鳴きながら私の相棒の前に来てどさりと横になりました。「その時、呼吸が止まったのを見た気がする」と相棒は言います。相棒が抱き上げると「そうじゃない。解釈が違う」とばかりに暴れ出しました。思えばこれは心臓マッサージ的な、奇跡的に何かショック反応が起こったのかもしれません。この時は回復しました。
後で相棒が話してくれたのですが、数日前の歩行がおかしかった折に「ひとりで死んだらいかんよ」と言い含めてあったそうです。晩年、かなり「こいつは人語がわかっているに違いない」と思う瞬間が数多あったので、相棒の頼みに応えてくれたのかもしれません。

診察

翌8月22日、早朝4時に大声で鳴かれました。場所は縁側。この夏はずっと縁側がお気に入りです。私も縁側に行き、そのまま7時頃まで体を撫で続けました。眠かったので半分寝てましたが。
そして朝一番で動物医院へ。先生とは長いお付き合いです。行く前に状況をラインで送ってありました。いつもは剽軽な先生ですが、この時ばかりは引き締まった表情をしておいででした。開口一番「食べてないですか」。ここ三日ばかり食べていないというラインでの報告がプロの中では重要事項のようです。素人の私もそう思います。体重は3,3キロ。8月16日の計測から300グラムの減少です。人間だと六日で3キロ減った感じでしょうか。
水分の点滴をしていただきました。とりあえず循環させること。尿を出させるための点滴。何でもいいから好きなものを食べさせてあげてください。好きなところに居させてあげてください。
まあ、これって「最後に好きなように」っていう意味ですよね。
私が「老衰ですか」と尋ねると「そうですね」。
あと何かできるとしたら、毎日通って水分点滴。うまくそれで循環してきて食欲が出てくれば御の字、とのこと。しかしそれは「毎日病院通い」という猫にとって最高のストレスを強いることになります。できることは全部していただいた。私は猫に言いました。
「先生に、お世話になりましたってご挨拶しような」
先生もスタッフさんも何かがこみあがっているような表情でした。

縁側にて

午前9時20分、医院から帰宅。もう自力では歩けなくなっています。立ち上がろうとするのですが、足が左右に開いていって、己の体を支えることができない。それでも何処かに向かおうとする気力は伝わったので、私が体を支えて足先を床につけると、四肢を動かして自分で方向を示しました。今年の夏のマイベストプレイスは縁側です。やはり縁側に向かいました。胴体は支えましたが、自分の足で縁側まで歩き切りました。
その後は、もうずっと縁側です。お気に入りの椅子がありましたが、昇る元気はありません。失禁がある筈なので、ペット用シーツを敷きます。昼間のうちはそれでも、数歩移動したり(人間が支えつつ)寝返りをうったりしました。その都度なるべくシーツの上に下半身が乗るように人が先回りして手配します。「女王様、こちらへどうぞ」と絨毯を支度する感じです。
日暮れまでに一度、失禁がありました。大体横たわっていますが、時折何かを確認するように頭を上げます。その時に「お水、飲むか?」「これ食うか?」と水や大好物(獣の内臓を加工したフード。獣医さんから以前に購入。死にかけの犬も起き上がるという触れ込み。本当にうちの猫も目の色を変えて食べていました)を口元に持っていきます。水は一口飲みましたが、フードは顔を背けました。
そんな感じで、もう一人の飼い主である相棒が仕事から帰宅するまで、ずっと猫の傍に居ました。

人間はいつも、縁側横の和室で晩餐をします。この夜もそうでした。その間、猫は日頃は好きなように振る舞っています。しかしこの夜は、我々が食器を片付けに行こうとすると、猫が振り返り相棒の顔を見上げました。なんともいえない表情だったそうです。
相棒が「猫の横に残る」と言ってくれたので、私は片づけをすることができました。実は現在、私の父も介護老人なのでそっちの世話も少しだけあるのですが、まあそれはなんとか。

今夜は我々も縁側で過ごすことにしました。でもとりあえず布団は欲しい。和室にベッドのマットレスを移動させました。その作業をしているとき、もう一度失禁がありました。このときは自力でトイレに行こうとする動作を見せたそうです。猫は自分の居場所を汚したくない生き物なのです。お見事です。

夜になって、雨が激しく降り始めました。雷鳴はしませんが、雨量はすごいです。でも、外の風景を猫が懸命に見ようとしているので、縁側の窓は少し開けたままにしました。暑くてやりきれないのでエアコンはつけました。縁側も廊下に向かう扉も開放しているので無駄ですが、多少はマシです。このコロナ禍なので「換気しながら冷房」なんて珍しくないですね。それと同じようなものです。

動物医院の仕事が済んだ後、先生が「そらちゃん如何ですか?」とラインをくださいました。おありがてえ。状況説明と最新の写真を送信。

先生の返信。
「お疲れです。生きてますね」

この簡潔さが逆に有難い。はい、生きてます!

結局一晩、一時間おきくらいに容態を伺いつつ、人間は寝ました。

8月23日

午前4時に私が見たときには、既に口呼吸をしていました。まだ日は昇っていませんので、薄らぼんやりと猫のシルエットが見える程度です。その頭が揺れている。最初は微かに鳴いているのかと思いました。猫は人間の耳には聴こえないヘルツでも鳴きます。でも動きがくり返しになっているので「ああ、口で息をしていて、頭が揺れているのか」と理解。その状態のまま、段々と明るくなり、朝が訪れました。

相棒は状態を見て、この日は仕事を休むことを早々に決意しました。

交代で朝食をとり、見守ります。この口呼吸、見れば素人でもやばいことはわかります。でもここからまだ、この猫は数時間粘ります。体力のある猫です。
やがてこの口呼吸に、変化が現れました。しゃっくりをするような、少し大きめの仰け反り。7~10回の呼吸内に一度くらい生じます。相棒が胸に耳をつけて心音を聞いてみます。「不整脈だと思う」。心音が不規則で、一瞬の間の後、音が戻って来るときに「しゃっくり」のような動きをしているとのこと。その状態もまだしばらく続きます。およそ二時間。

やがて10時40分頃、少し大きめの声で鳴きました。昨日の朝からもうずっと鳴いてはいなかったのですが。そして、口呼吸もしなくなりました。失禁もしています。あっと思ったのですが、でもまだ胸は微かに上下しているのです。心臓は動いているようなのです。瞳孔はものすごく開いています。

「わたし、抱いていいかな」と相棒が抱きました。

抱いてほどなく。11時2分。胸の微かな上下も止まりました。
18歳11カ月。堂々の大往生でした。

ありがとう

我々は覚悟していました。まあ、上記のような状態で年齢も充分。涙は出るけどね。
ともあれ我々と同じ長い付き合いの獣医さんに、ラインで報告とお礼です。そのお返事。
「お疲れさまでした。正に大往生ですね。天晴れです」
救われる言葉です。獣医さんから「天晴れ」と言われる生き様。はい、根性ありました。賢くもありました。
ありがとうございます、先生。

相棒が抱いたままの状態で縁側に座り、私は介護老人の父を呼びに行きました。介護老人とはいえ父は自力で歩けるので、縁側に来て「そうかそうか。掌にのるくらいちっさかったのになあ」と涙ぐんでいました。そしてポケットから万札を取り出し「供養の足しにしてやってくれ」。
ありがとう、父。

実は我が家にはもう一匹、猫がいます。こちらはまだ3歳。雄猫。「そら」が大好きで、どんなに邪険にされてもめげずに傍に寄っていった、メンタル強つよストーカー猫です。名前は「まめ」。その「まめ」がここ2日ばかりは近寄りませんでした。なので私が「まめ」を抱いてきて「ほれ、お別れをするか?」と告げると、少しだけ匂いを嗅いで、またどこかへいきました。
ありがとう、まめ。

相棒はずっと「そら」を抱いて座っています。我々はこの後の行動については決めていました。でも、まだ体があたたかいので。心臓は止まったけれど、ぬくいので。本当に体温が下がったのを確認してからでもいいでしょう。素人の誤診ということもあるし。よって軽く話し合った結果、とりあえずお昼だし、人間が昼食をとってから。それからペット葬儀社に電話をすることにしました。
話し合っている間も相棒はずっと、猫を抱いていました。これは感情的な部分ももちろんあるんですが、以前にも愛猫を看取った経験のある相棒の知識のせいでもあります。小さい生き物は意外と早く死後硬直が始まります。あたたかくてやわらかいうちに「良い形」にしておいたほうがいいのです。そのためでもありました。
ありがとう、相棒。

そして、そら。
本当によく頑張ってくれた。一晩看病するという「覚悟の時間」もくれて、でもそれまでは大して手もかからなくて。
臨終のその直後。雨はやんでいたけれど曇りベースだった空に、光が差しました。
とても綺麗な青空が見えました。
「そらは、この青空を待っていたのかな」
拾ったときは70グラム。引き取るかどうか悩み続けてとりあえず育てていたある日、相棒がめくったカレンダーの「空」がとても綺麗で、それで名付けた「そら」という名前でした。
ありがとう、そら。

いろいろ支度

はい、感情面はひとまず置いておいて。ここから先は、感情と戦いながらも物理的作業が始まります。

さて、ペットが臨終したらその後はどうするか。
それはご家庭によってさまざまだと思います。我々は火葬にしようと決めていました。あらかじめ覚悟していたので、あまり迷いなく行動できます。電話をかける業者も決めていました。

自宅まで来てくれる「移動式火葬車」というのがあったのです。実は先月、友人がそういった業者を利用したばかり。電話しました。しかしその結果。
なんとコロナ禍で人手不足。最短で土曜日になります、とのこと。いや、今日まだ火曜日だよ。さすがに五日間も置いてはおけない。某国の指導者をガラス張りで安置しておくんじゃないんだから。

移動式じゃなくて、斎場に連れてきてくれるなら翌日の午後に火葬できます、とのことだったので、そうすることにしました。相棒は翌日の午前中だけ出勤して、早退することに。

お昼を食べて、猫を棺に入れて(段ボール箱に新聞紙とペットシーツを敷いて、いい形に固まった猫を安置。体中の穴からしばらく体液が流れるので、ペットシーツは定期的に交換する。段ボール箱は保冷効果があるので保冷剤を一緒に入れる際も有効)、電話予約を済ませた後、我々は花を買いに出かけました。
本当に綺麗に晴れました。昨夜の土砂降りが嘘のようです。
猫に似合いそうな花を買い、帰宅。一度箱から出して、お身拭いです。相棒がお湯とタオルを用意してくれました。あたたかい濡れタオルで体を綺麗にし、その後、乾いたタオルで拭いていきます。ブラシで毛並みを整えると、本当に「ただ寝てる猫」になりました。めちゃくちゃ綺麗に死んでくれました本当に。ただ、目は見開いたまま死んだので、これは体が柔らかい間に二人して懸命に閉じさせました。おかげで無事に寝てくれました。

シーツを取り換えて、箱に安置し、相棒が程よいサイズに切り揃えた花を入れてくれます。

「可愛いな」
「うむ。可愛く寝ている」

このまま冷房の効いた部屋に安置して、夜は我々の寝室に持って行って「お通夜」兼、一緒に寝たのですが。
不思議なことに我々二人とも、まだ「胸が上下している」ように見えるんですよ。間違いなく死後硬直始まってるし、触れば冷たいのですが、毛並みが動いているように見える。これは、この毛並みが「動くもの」と思って19年近く見てきたせいなのかもしれません。何か心理的にほかにもあるのかもしれないけど、マジで動く。互いに何度も確認し合いました。「動いてるよな」「うん。あの辺が特に」「わかるぞ、あの辺だよな」「しかし冷たいんだよね」「でも動くな」
そして、これは晩年にワクチンのため動物医院に連れて行く度に言われたことですが。
「毛並みが良い。この年齢とは思えない」。
毎年そうでした。昨日の通院時もそうだったんですよ。そして遺体になっても驚くほどに毛並みが良いんですよ。ツルスベふわふわ。
「焼きたくねえ」とは、相棒がこの後何度も言った言葉。私も同感です。このまま毛皮にしたいくらい。しかし放置すれば確実に目も当てられない状況になります。綺麗なうちに供養しましょう。

葬儀

翌8月24日。相棒の居る前では割と感情を殺してきた私ですが、相棒が仕事に行っている間、実はべしょべしょ泣いてました。泣き過ぎて服がびしょ濡れになったので、相棒が仕事から早退してくる前に着替え。帰ってきた相棒と二人で「行きたくない行かなきゃ」気分を持て余し、「まめにも最後の挨拶をさせなきゃ」「家じゅうを巡ろう」と棺を抱えて各部屋に赴き、そこでの思い出を語ったり。
はい、時間切れ!予約の時間に遅れては大変です。隣の市だし、行ったことないし。車発進。

この日も、とても綺麗に晴れた青空でした。

ペット葬儀社さんは、郊外の綺麗なところにありました。中に入ると、受付カウンター、応接テーブルとソファ、らせん階段、壁際に並べられたペットメモリアル商品が並ぶケースが目に入りました。
対応してくれた女性はとても親身な態度で、大変丁寧に案内してくれました。我々が予約したのは「立会い個別火葬」。合同ではなくて「そら」だけを焼いてくれて、家族が拾骨もできるコース。オプションとして駕籠で編まれた「エンジェルの棺」というのも選べました(ペットによってサイズもいろいろありました)が、それはチョイスせず、生まれたままの姿で火葬台に乗せることにしました。
一緒に焼いていいものは、生花または紙の花、食べ物(専用の紙コップをくれる。ビニル袋などからは出す)。首輪はあらかじめ家で外してきました。我々は昨日買った花と、大好物だったフードを添えました。そして、そらが子猫の頃から大好きだったおもちゃ。魚の形をした小さな編みぐるみです。私の人差し指くらいの長さ。これは「駄目だったら持ち帰ろう」と一応持ってきたものです。中に金属などが入っていないことと、サイズが小さかったことが幸いしてOKが出ました。

お焼香をして、最後に家族だけの別れの時間を作ってもらえました。係の人はいったん退室です。相変わらず良い毛並みを散々撫でて、最後に人間と写真を撮って、係の人を呼びました。

そらは、足元から炉の中に移動していきました。後で相棒が話したことですが、「あの籠を選ばなくてよかった。最後まで、そらの頭が見えていたから。籠に入れたらもう扉が閉まるときには見えなかったと思う」。それはそうかも。私も同意かな。でも、具体的に炉の中にペットが去って行くのを見るのがつらい人(人間の火葬と同じ感じでした。自動でゆっくり寝台が移動していきます)や、なんらかのベッドに寝かせてあげたい人なんかは籠の選択もありだと思います。それは人それぞれ。
「それでは、扉を閉めさせていただきます」
係の人は、本当に丁寧でした。こういった全ての動作の前に宣言があり、遺族は覚悟する時間をちゃんともらえました。

待ち時間はおよそ40分~60分とのこと。
持参した段ボール箱などを一度車に置きに行き、我々は一階のソファで待つことに。ここは二階もあって、他にも葬儀があったらしく先に来た家族連れが二階にいました。我々より先に終わってらせん階段を降りて来た家族は、小さい子どもとその両親らしき四人連れ。全員、見事な黒服でした。壁に陳列されたペットメモリアルアイテムの中から、遺骨を入れて持ち運べるアイテムを選んでいたようです。ペンダントか、キーホルダーか何か。どなた様もお疲れ様です。

ほどなく我々の番です。あまり待った気はしません。60分はなかったんじゃないかな。
さっき見送った扉の前に、戻ってきた寝台がありました。まだ熱気があります。幾分ほかほかした寝台には、とても綺麗な骨がありました。相棒が「えっ」と興奮して「めっちゃ綺麗。発掘したみたい。写真とっていいですかっ」とスマホを取り出したくらいです。撮影は勿論OKです。後で写真を送ってもらいましたが、私の感想。いやマジ綺麗。昔、科博で始祖鳥の化石をプリントしたハンカチを購入したことがありますが、それを思い出しました。

お線香をあげて、拾骨です。どの部分がどこの骨か説明してもらい、「人間と違って特に決まりはございませんが、足の方からそちらへ入れていただければ宜しいかと」とのこと。白い骨壺が準備されています。箸を受け取りました。二人で言われた通り、足元から骨壺へ入れていきました。尻尾の骨や、肋骨、頭蓋骨も綺麗です。牙も残っています。病気らしい病気をしなかったので、骨が丈夫だったのでしょうか。係の人からは「脚が長い猫ちゃんですよね」と言われました。そうなのか。そういえば子猫の頃は脚がなんだか余っていて、妙に艶めかしい猫であった。その脚の骨も立派に形を残しています。
一片も余さず、と執念をもって拾ったので少しお時間をいただきました。すみません。でも無事に全部収めることができました。
白い布ケースに入れてもらった骨壺は、人のものと区別がつきません。立派です。側面に遺影を入れられるポケットまでついています。正面の名前を書くところには、「そら」と没年月日の「2022年8月23日」を記載しました。法名は作っていません。

この一連の流れと、骨壺、骨壺ケース代込みで約2万円です。
別料金を出せば、遺髪(毛を少し刈る)をお守りケースのようなものに入れてくれたり、「天使の足跡」という足形を固めたアイテムにしてくれたり(もちろん焼く前にとる)、位牌や遺影、遺骨を少しだけ入れて持ち歩けるようにできるアイテムなど、様々な品がありました。相棒は遺髪だけお願いしました。毛は自分らで好きなところを刈らせてくれます。
支払いを終えて頂戴した用紙には、初七日、四十九日、一周忌、初盆、三回忌までの日程が記載されていました。すげえ。満中陰の合同法要というのもあるらしくて、そのときには案内のお手紙を送ってくださるそうです。まあ勿論これに参加するのは別料金なんですが。

いろいろ終えて、小さくなった「そら」を相棒が助手席でずっと抱え、私の運転で帰宅しました。
空はやっぱり、青空のままでした。

これから

「そら」は、2003年9月に生後三日(獣医さん推定)の状態で拾ったときは、我々二人とも「死んでいる」と思った猫です。小さく丸くなっていました。果物のパックに入れられていたので、確実に捨てたのは人間です(怒&呪)。我々は埋葬するために拾い上げました。そうしたらなんと、相棒の手の中で大声で鳴いたのです。大急ぎで祝日夜にも関わらず、獣医さんの玄関を叩きました。体中に既に蛆虫が大量に集っていて、先生は文句ひとつ言わず、2時間も無数の蛆虫を取り除いてくれました。口の中にまで虫がいました。
翌日、獣医さんのところへ追加のミルクを買いに行った朝、「生きてましたか」と言われた猫です。
奇跡的に地獄から立ち戻り、以後大病もせず18年と11カ月。
24時間「可愛い」を営業し続けた見事な猫でした。ありがとう。きみのおかげで楽しかった。

我が家には、やはり途方に暮れて私の後輩から預けられた3歳の雄猫「まめ」がいます。「そら」が大好きで追いかけまわし、「そら」の機嫌が良ければ傍に寄り添っていた「まめ」は、葬儀の当日やはり挙動が変でした。基本的に剽軽でポジティブな猫ですが、人間が笑っていると一緒に「アアア!」と鳴いたり、人間が泣いていると一緒に「アアン?」と鳴いたりするような感応性同調力の高い猫です。猫ってすごいんだな、とこいつも思わせてくれます。この室内猫にとって唯一の同種生物を喪う気持ちは、ちょっと私には想像がつきません。
人間は葬儀をすることでひとまず気持ちの区切りをつけました。ここからは生きているこの若い雄猫を優先して、また暮らしていきます。願わくばこの雄猫を見送る日が、ずっとずっと先になるよう願いながら。

長々と読んでくださって、ありがとうございました!

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