大正四年七月十五日
解体した伯母の家から、何枚か古い写真が出てきました。私にわかる人もいればわからない人も。
この写真には幸い、撮影日と人物名(一人だけですが)の記載があり、大正四年七月十五日に撮影したものとわかっています。
前列左の女性がおそらく私の親類。名前から類推すると、私の祖父の姉です。このとき18歳と記載があります。
ぱっと見、他の女性も同じような年代かと思われますが関係性は不明。同級生かな。
満州にて・・・誰?
かなり写真が傷んでしまっています。
お願い大事な写真の裏に試し書きしないで、という感じです。
その写真裏面に記された情報によれば「渡辺主人卅何歳の時 満州にて寫す」かな?(もし違ってたらどなたか詳しい人、教えてください。「卅何歳」のあたりが怪しいです)
「渡邉主人」ってのがいつの時代の「主人」だよ、とツッコミたいところ。
顔だちからして、私の祖父ではない。祖父の父かなあといったところ。流石に祖父の父の顔まで知らぬ。祖父でさえ私が生まれる前に亡くなっているので。
しかし寒そうですね。写真台紙にある「ROSARY ARTIST」は写真館の名称でしょうか。
拙者とか我とか
写真というものは、撮影したときには「顔を見れば誰かわかる」状態です。
多少の年数が経ったとしても「ああ、これこれ。私の高校時代の」とか、本人が元気なら言えます。
まあ、そりゃ著名人でもないんだから、百年後にも子孫にわかるようにしよう、とはあんまり思いませんよね。
でもごめん。ちょっと最初はわからなかった。
この写真、説明書きがあるのですが、こんな感じでした。
「拙者十六歳(大正六年三月卒業記念)中央松城君左内山君」。
わかった。中央の人物が松城さんという方で、左側は内山さんという方ね。
おそらく一緒に卒業した同級生なのよね。
しかし頼む。右に映っているおそらく私の身内らしい「拙者」。あなたは誰。
私は「拙者」であるきみの名前が知りたかったなあ。祖先だからな!
今年は令和5年。大正6年から106年経ちました。流石にわからん!
・・・とも思いましたが、まあ年代から逆算すると多分私の祖父。
他の写真とは少し雰囲気が違ったので一瞬わかりませんでしたが、多分。多分ね。
で、次の写真ですが。
この写真にもちゃんと説明記載がありました。次のような。
「右中川説雄君十七歳左我十八歳(大正九年五月五日)」。
つまり右側の青年は中川説雄さんで17歳。左の青年は18歳の「我」。
・・・来ましたよ。「我」だよ。我が来たよーーー。
これ、明らかに私の祖父の顔ではない。
他の写真で知った濃い顔とは違う、やや淡白めの顔。
流石に本当にわからなくて尋ねました。母も伯母も亡くなっているので、大分年の離れた母の従兄に。そうしたら判明しました。
祖父の弟です。つまり私の大叔父でした。中川説雄さんとの関係性まではわからなかったけど。
でも二人とも着物に帽子姿って、なんだかお洒落ですね。この時代のファッションかな。
何処かに奉公している風情にも見えますね。
私の祖父も、この大叔父も、さらに下の弟であるもう一人の大叔父も、三兄弟全員が骨董屋さんだったので、修行中の写真なのかもしれません。
にしても、「拙者」とか「我」とか。血筋か。お願い、ちゃんと書いといて。
何かの組織っぽいかも
上の「我」を踏まえた上でこの写真です。
後列の一番右側が「我」と同じ顔をしています。私の大叔父で決まりだと思います。
そして前列の右から二人目の人物。この顔、確か「満州にて」で見ました。
「渡辺主人」と同じ顔です。十中八九「我」の父です。
やはりあの満州にて寫された「渡辺主人」は私の曽祖父のようです。
しかし、最早その他の方々については、さっぱり見当がつきません。先述の母の従兄もこの写真はお手上げでした。
年代的には大正時代かとは思われますが(「我」の年齢的に)、ご近所の人たちなのか、仕事関係の方々なのか、親類なのか不明です。そもそも場所すらわからない。
でも、インバネスを着た人もいて、この時代の装いはかっこいいですね。
全員が黒っぽくて、ちょっと悪の組織みたいだけど。
写真の中には撮影された写真館のロゴもあったりするので、詳しく調べたらいろいろ判明するのかもしれません。
古い写真はフレームまでお洒落ですね。他にも何枚かあるので、また別の機会に。
ご覧いただき、ありがとうございました。